1951年ドイツグランプリ (XIV Großer Preis von Deutschland) は、1951年F1世界選手権の第6戦として、1951年7月29日にニュルブルクリンクで開催された。
レース概要
アルファロメオは再び4台の車両を投入した。地元ドライバーのパウル・ピーチがコンサルボ・サネージに代わって、ファンジオ、ファリーナ、ボネットと共に参戦した。シルバーストンでの初優勝に続いて、フェラーリも4台を投入した。ピエロ・タルッフィが再加入し、アスカリ、ヴィッロレージ、そしてイギリスグランプリの優勝者、フロイラン・ゴンザレスと共に参戦した。フェラーリは前戦に続いて最良の体制を続け、アスカリとゴンザレスが予選の1列目を確保した。ファンジオとファリーナがこれに続いてフロントローを確保し、ヴィッロレージ、タルッフィ、ピーチがセカンドローに並んだ。
決勝がスタートし、ファリーナが1ラップ目の終わりまでリードしたが、ファンジオ、アスカリ、ゴンザレスによって追い抜かれた。パウル・ピーチが5位を走行したが、2ラップ目で後方に沈んだ。ファリーナがオーバーヒートのためリタイアし、ファンジオがフェラーリに対抗できる唯一のアルファ・ロメオ・ドライバーであった。ファンジオが最初のピットインを行い、5ラップ目にアスカリがトップに立ったが、アスカリがピットインすると再びファンジオがトップに立つ。ピットストップ1回のフェラーリと対照的に、アルファ・ロメオは2回のピットストップを必要としたため、ファンジオは2回目のピットストップ後にもポジションを保持するため、第2スティントで大きなリードを確保する必要があった。しかし彼はリードを保てず、アスカリが15ラップ目にリードを取り戻した。エンジンの不調と3、4速だけが残ったギア(4速が一番高いギア)のため、アスカリが予期しないタイヤ交換を行ったにもかかわらず、ファンジオはアドバンテージを得ることができず、結果としてアスカリが自身初の優勝をファンジオに対して1分半以上の差を付けて勝ち取った。ゴンザレスが3位に入り、残るワークスフェラーリのヴィッロレージ、タルッフィより上回って表彰台に上った。
アスカリはこの勝利で選手権争いで2位に浮上する。首位のファンジオに対して10ポイント差と迫った。ファンジオは2位に対して前戦からリードを広げた。フロイラン・ゴンザレスは2戦連続の表彰台となり、ファリーナ、ヴィッロレージを抜いてランキング3位に浮上した。
エントリーリスト
- ^1 - パウル・ピーチはアルファロメオの78番車をドライブしたが、予選と決勝で別の車両を使用した。
- ^2 - プリンス・ビラ、エリック・ラングレン、チコ・ランディの3名はプラクティス前に撤退した。
結果
予選
決勝
注
- 初優勝:アルベルト・アスカリ
第6戦終了時点でのランキング
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参考文献
Unless otherwise indicated, all race results are taken from “The Official Formula 1 website”. 2007年6月5日閲覧。




