岩田 茂穂(いわた しげほ、1851年または1852年 - 1902年7月)は、江戸時代末期(幕末)の豊前中津藩士、明治の実業家。息子は獅子文六。

経歴

中津藩で二十人扶持を食む上士として生まれ、渡辺重石丸について国学・水戸学を学ぶ。神道系国粋主義運動に開眼し、明治3年(1870年)に帰郷した福沢諭吉の暗殺団に増田宋太郎らと共に加わるが、後に一転し、同5年(1872年)に増田と共に福沢の開いた慶應義塾に入塾した。

1877年に、のちに義父になる平山甚太(妻の父)と横浜に平山煙火製造所を設立。

明治16年(1883年)にはニューヨーク市立大学シティカレッジに留学。帰国後に、横浜市弁天通りで、欧米人を相手にした絹物貿易と小売の店「S.EWATA(岩田商店)」を開いた。

1902年(明治35年)7月、50歳で病没。事業は、妻と番頭が引き継いだが振るわず、文六が16歳のころに閉業した。

翻訳

  • クリシイ『万国有名戦記』陸軍文庫、1884年(吉村軌一と共訳)NDLJP:768662

参考文献

  • 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年

脚注


明治時代の海外向け花火カタログの味わい深いイラストがとっても素敵! アート Japaaan デザイン

岩田守弘 攻める男のアデランススペシャルサイト

岩田さんニュース ほぼ日刊イトイ新聞

【静岡県】岩田千穂|ルシードスタイル チェル

岩田 美穂|BEAMS(2/2ページ)