スティーブ・サックス(Stephen Louis "Nut" Sax , 1960年1月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウェストサクラメント出身のプロ野球選手(二塁手)。右投右打。
実兄デーブ・サックスもドジャースとボストン・レッドソックスで捕手として5シーズンプレイした。
経歴
ジェームス・マーシャル高を卒業し、1978年ドラフト会議でロサンゼルス・ドジャースに指名され、入団。 1981年8月18日にメジャーデビューを果たし、そのシーズンは31試合に出場。 新人王資格を残し、翌1982年に150試合に出場し、打率.282、本塁打4、打点47、盗塁49の活躍でMLBオールスターゲームにも出場。 ピッツバーグ・パイレーツのジョニー・レイ(のちヤクルト)、セントルイス・カージナルスのウィリー・マギーとの争いに勝ち、ナ・リーグ新人王に輝いた。
その後も俊足、好打の「一番・二塁手」として活躍し、打率.300以上を3回、40盗塁以上を6回記録。 オールスターにも通算5回出場。 1986年は打率.332(リーグ2位)、本塁打6、56打点、40盗塁でシルバースラッガー賞を受賞。 1988年にはチームのワールドシリーズ制覇に貢献したが、この年オフにフリーエージェント(FA)権を行使してニューヨーク・ヤンキースに移籍。1989年にはア・リーグ1位の併殺、守備率を記録。 ヤンキースでも変わらぬ活躍を見せたが、1992年にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。 この年は.236の低打率に終わり、翌1993年は57試合の出場に終わって1994年はオークランド・アスレチックスに移籍。 7試合に出場して5月には解雇となり、そのまま現役引退した。
選手会では選手代表の中心的役割を果たし、ベニー・アグバヤニ(千葉ロッテマリーンズ)らのいわゆる「スト破り」の選手への年金非交付を提案した。
現役引退後は様々なベンチャービジネスを繰り広げる傍ら野球解説者としても活躍の後、2013年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスで一塁コーチを務めた。
エピソード
- ヤンキー・スタジアムで半世紀に亘って場内アナウンスを担当したボブ・シェパードに「(コールする上で)面白くない名前」の代表に挙げられたことがある。
これはシェパードへのインタビューで「コールした中でお気に入りの名前は何か」という質問に対してランキング形式で幾つか答えた。1位のミッキー・マントル(自身がアナウンサーデビューした試合でMLBデビューしている)以外は全て非アングロサクソンの選手だった。これについてインタビュアーが理由を問うとシェパードは「アングロサクソン系の名前に面白味はない。スティーブ・サックスなんて何が面白い?」と答えている。
因みに、2位は長谷川滋利だった。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
受賞歴・記録
- 新人王(1982年)
- シルバースラッガー賞1回(1986年)
- オールスター出場5回(1982年、1983年、1986年、1989年 - 1990年)
- 月間MVP1回(1986年9月)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 S
- 兄弟スポーツ選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- allsportsconnection.com.(現在サックスが運営するサイト)



