藤原 隆光(ふじわら の たかみつ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家高藤流、右衛門権佐・藤原宣孝の子。官位は正四位下・備中守。
経歴
一条朝の長保2年(1000年)主殿権助として見えるのが史料上の初見。長保3年(1001年)蔵人に補され、寛弘2年(1005年)には蔵人式部丞として、藤原実資の許に宣旨を持来している。寛弘末期に従五位下に叙爵し、蔵人大夫となる。また、藤原道長に近習として身近に仕えた。
後一条朝の治安3年(1023年)頃に皇后宮大進に任ぜられて皇后・藤原威子に仕え、治安4年(1024年)に正五位下に叙せられている。主殿頭を経て、長元3年(1030年)正四位下に至る。その後、左京大夫を務めたほか、時期は明らかでないが越前・筑前・備中・備前と四カ国の受領を歴任している。
官歴
- 長保2年(1000年) 正月22日:見主殿権助
- 長保3年(1001年) 6月20日:兼六位蔵人
- 寛弘2年(1005年) 3月25日:見蔵人式部丞
- 時期不詳:従五位下
- 寛弘8年(1011年) 6月25日:見蔵人大夫
- 治安3年(1023年)頃:皇后宮大進(皇后・藤原威子)
- 治安4年(1024年) 正月26日:正五位下(皇后宮当年御給)
- 万寿2年(1025年) 4月26日:見皇后宮大進
- 時期不詳:主殿頭
- 長元3年(1030年) 9月10日:正四位下
- 長暦2年(1038年) 12月14日:見左京大夫
- 時期不詳:越前守。筑前守。備前守。備中守
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
- 父:藤原宣孝
- 母:藤原顕猷の娘(藤原南家巨勢麻呂流)
- 妻:家女房
- 男子:藤原隆経
- 妻:源国挙の娘
- 次男:藤原隆方(1014-1079)
- 男子:藤原隆成
- 男子:藤原隆清
- 生母不詳の子女
- 男子:林慶
- 男子:教意
- 女子:藤原良経室
脚注
参考文献
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
- 宮崎康充編『国司補任 第四 第五』続群書類従完成会、1990年




