谷山線(たにやません)は、鹿児島県鹿児島市高麗町の武之橋停留場から鹿児島市東谷山二丁目の谷山停留場までを結ぶ鹿児島市交通局(鹿児島市電)の軌道路線である。
一部の資料では、第一期線の全区間を含めて谷山線としていることもある。
沿線概要
沿線には、カーフェリー乗り場のある鴨池港や鴨池球場がある。南鹿児島駅前停留場付近から谷山停留場まで指宿枕崎線と併走する。路線のうち涙橋停留場から谷山停留場の間は専用軌道区間である。
運行形態
1系統(鹿児島駅前 - 武之橋 - 谷山)が6 - 8分間隔(ラッシュ時は4 - 5分間隔)で運行される。
利用状況
2022年度の最混雑区間は南鹿児島駅前停留場→涙橋停留場間(7:30-8:30)で、混雑率は約105%である。
歴史
1912年に鹿児島で最初に開業した電車の路線は鹿児島電気軌道谷山線であるが、この路線は法規上軽便鉄道として建設された。これは連結運転を考慮したためといわれている。開業時7両の電車(木製単車)が用意され、1913年以降に電動貨車が加わり手小荷物や鮮魚の運搬に使用された。また路線では1915年以降鴨池 - 谷山間が単線化され捻出した軌条や枕木などを新線建設に転用した。この区間が複線に復活したのは1949年であった。
開業時より武之橋 - 谷山間は全線専用軌道であったが1960年に武之橋附近の路線の東側に新道が建設され中央部に軌道を移設することになった。1959年度より軌道基面降下工事(道床を道路と同平面まで下げる)がすすめられていき、1963年11月に鴨池 - 郡元間も鴨池停留場付近の高架線が併用軌道となり、同停留場は二階建ての駅舎であったが解体された。1964年2月武之橋併用橋完成により新屋敷-郡元間が併用軌道となった。
- 1911年(明治44年)8月3日 - 軽便鉄道免許状下付(鹿児島-谷山間)
- 1912年(大正元年)12月1日 - 鹿児島電気軌道が武之橋 - 谷山間を開業。
- 1915年(大正4年)9月15日 - 単線変更申請が認可(二軒茶屋-谷山間)され着工。
- 1917年(大正6年)5月16日 - 単線変更申請認可(鴨池-二軒茶屋間)。
- 1927年(昭和2年)1月24日 - 延長免許申請(谷山より慈眼寺まで約1100m)
- 1928年(昭和3年)
- 7月1日 - 鹿児島市電気局に移管
- 12月28日 - 軽便鉄道から軌道へ変更認可
- 1933年(昭和8年)1月26日 - 鹿児島市交通課に改組
- 1944年(昭和19年)10月24日 - 鹿児島市交通部に改組。
- 1949年(昭和24年)10月24日 - 二中通停留場が交通部前停留場に改称。
- 1952年(昭和27年)10月1日 - 鹿児島市交通局に改組。交通部前停留場が交通局前停留場に改称。
- 1945年(昭和20年)6月17日 - 空襲により運休。29日再開。
- 1947年(昭和22年)12月20日 - 複線化工事竣工運行認可(鴨池-二軒茶屋間)。
- 1948年(昭和23年)2月3日 - 複線化工事竣工運行認可(二軒茶屋-脇田間)。
- 1949年(昭和24年)12月29日 - 複線化工事竣工(脇田-谷山間)谷山線全線で複線が復活。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 競馬場前停留場を南港入口停留場に改称。
- 1959年(昭和34年)10月1日 - 郡元停留場を新川停留場に改称。
- 1967年(昭和42年)1月1日 - 新川停留場を涙橋停留場に、南港入口停留場を南鹿児島駅前停留場に改称。
- 1960年(昭和35年)
- 2月28日 - 軌道移設(下り武之橋-荒田八幡間)。
- 3月1日 - 軌道移設(上り武之橋-荒田八幡間)。
- 2015年(平成27年)5月1日 - 交通局前停留場を二中通停留場に改称。
- 2019年(令和元年)7月3日 - 大雨の影響で南鹿児島駅付近で崖崩れが発生し、郡元 - 谷山間が運休となる(翌4日の17時より運転再開)。
停留場一覧
かつて存在した停留場
- 海浜院通停留場(1912年12月1日開業、1918年1月13日廃止)
- 笹貫停留場は官報によれば海浜院道停留場と同日に廃止されており、昭和2年版の鉄道停車場一覧によるとその後1920年2月9日に復活している。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 鹿児島市交通局『鹿児島の路面電車50年』、1978年
- 水元景文『鹿児島市電が走る街今昔』JTBパブリッシング、2007年
関連項目
- 日本の鉄道路線一覧




