2009年の横浜ベイスターズ(2009ねんのよこはまベイスターズ)では、2009年における横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、2回目の大矢明彦監督体制の3年目(通算5年目)のシーズンである。5月18日に大矢監督が休養したため、残り試合は田代富雄監督代行が指揮を執った。

概要

前年の最下位転落を受け、大矢監督はOBで野球解説者の駒田徳広を一軍打撃コーチとして9年ぶりに古巣に復帰させ、ヤクルト時代の同僚である杉村繁を一軍打撃コーチに昇格させ、投手陣再建のため前年までソフトバンクの投手コーチだった杉本正を新しく招聘。二軍のコーチも若手に一新するなど、一軍・二軍のコーチスタッフを一新したチームは開幕を迎えるが、中日・巨人との6連戦で投手陣が崩壊。開幕6連敗でスタートするなど4月を8勝14敗で終えたチームは5月に入っても成績不振から脱出できず、大矢監督はついに休養。後を受けた田代監督代行でもチーム再建は難しく、5月末から7連敗。その後も6連敗などで黒星を重ねるが、7月は10勝13敗と健闘。それでも上位陣の壁は厚く、8月に5連敗、9月に7連敗を喫したチームは3連覇の巨人に42.5ゲーム、5位の広島に16ゲームもつけられ2年連続の最下位となった。投手陣はチーム防御率が前年の4.74から4.36へ改善されたもののリーグ最下位に低迷し、2ケタ勝利を挙げたのは三浦大輔ただ一人という惨状。打撃陣は前年首位打者の内川聖一が打率2位に入り、前年本塁打王の村田修一は25本塁打と活躍したものそれ以外の選手が不調で、チーム打率はリーグ最下位。規定打席到達は内川と全試合出場の吉村裕基、この年一軍に定着した石川雄洋だけだった。シーズン終了後、最下位転落の責任を取り大矢監督は辞任。後任にはこの年3連覇した巨人の尾花高夫投手コーチが就任し、田代監督代行は二軍監督に復帰した。この年のオフ、WBCの取材をきっかけに交際していた内川がフジテレビの長野翼アナウンサーと結婚した(結婚披露宴は翌年のオフに行われた)。

チーム成績

レギュラーシーズン


日本生命セ・パ交流戦2009

  • 同率の場合は前年の順位で上位のチームが上位にランクされる

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(144イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

打撃成績

  • 色付きは規定打席(452打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

マツダオールスターゲーム2009

2009 WBC選出選手

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

脚注

注釈

出典


【横浜優勝】横浜ベイスターズ優勝パレード1998.11.3 YouTube

横浜ベイスターズ 優勝までの全軌跡。 NumberSpecial Issue 1998 October Number Web ナンバー

1999年 横浜ベイスターズ 19 YouTube

GO!GO!横浜ベイスターズ-熱き星たちよ- YouTube

横浜ベイスターズ 2009.7.19 チャンステーマ×仁志 YouTube